以下、JWTAホームページより
車いすテニスの歴史と今後の展望
日本車いすテニス協会
事務局長 芝田 耕太郎(役職は当時)はじめに
日本車いすテニス協会(JWTA: Japan Wheelchair Tennis Association)は、国内の車いすテニスの統括団体であり、全国各地で開催される講習会や車いすテニストーナメントを通じて車いすテニスの普及、発展のために活動している。会員数は、9月現在、544名となっている。今から15年ほど前に、アメリカから導入された車いすテニスは、当初、草の根的な活動であったが、各地で大会が開催されたり国際団体との交流が始まるにつれて組織化の必要に迫られ、いくつかの形態を経て現在のJWTAに至っている。平成9年度には全国に普及するほどになったが、これもひとえに、日本テニス協会はじめ各地のテニス団体やテニス愛好者のご支援のたまものであり、紙面を借りて深く感謝申し上げる次第である。
国内における車いすテニスの15年間は、導入期(昭和58年~61年)、組織化(昭和62年~平成3年)、普及期(平成4年~9年)と大きく分けられる。そして、9月23日の「テニスの日」に象徴されるように、同じコートで障害のあるなしに関係なく一緒にテニスを楽しめることのできる、統合化(平成10年~)の時代を迎えつつあるのではなかろうか。
各時代の主立った出来事をたどり、車いすテニスの足跡を振り返ってみたい。導入期
昭和58年頃、神奈川、大阪、福岡で、リハビリ施設やテニス関係者の間で当時すでにアメリカで行われていた車いすテニスを、英文ルールなどを翻訳しながら車いすの人を指導するようになった。この段階では、競技性というより受傷後のリハビリの一環として考えられていた面もある。その頃は、運動性能の高いテニス専用の車いすもなく、常用の折り畳み車いすで今から考えるとずいぶんとぎこちないテニスであった。しかし、昭和59年5月には、初めての全国大会が厚木市で開催され、その翌年には飯塚市で、車いすテニスの創始者であるB.パークス氏などが参加して国際大会が開催された。外国人選手は、固定タイプのテニス専用車いすを使い、すばやい動きとハイレベルな技術で日本人選手を魅了したものである。パークス氏は翌年も来日して、関西、関東でクリニックを行い、車いすテニス導入期の大きな役割を担ってくれた。
各地で大会が開催されるようになると、情報交換や日程調整などが必要となり、昭和61年に日本車いすテニス連絡協議会が発足した。昭和62年に日本身体障害者スポーツ協会の種目別団体となったときには、上記大会以外に大阪、松本でも全国大会が開催されていた。これらの大会は、プレーヤー自身が主体となった実行委員会形式で企画・準備されたことが特長であった。組織化
全国大会への出場者が増えるにつれて、ランキングやクラス編成など、選手が活動しやすい環境づくりが急務となってきた。そこで連絡協議会を改め、日本テニスプレーヤーズ協会を昭和63年にスタートした。また、この頃から「車いすテニス選手だけの組織ではなく、協力してくれている一般の人をも含めた組織づくりが大切である。」とか、「ツーバウンドまで有効というルールを介して一般の人と同じコートでプレーすることが車いすテニスの魅力である。したがって、組織づくりも社会的統合を達成するために主旨に賛同してくれる人と一緒に活動していくことが重要である。」といった意見が聞かれるようになり、平成元年5月、日本車いすテニス協会を設立した。同時に、選手の主体性を優先するプレーヤーズ協会との調整は継続して行われ、平成3年、両協会を統合して新たな日本車いすテニス協会を再スタートさせた。
この時期は国際的にも組織化が進展し、国際車いすテニス連盟(IWTF: International Wheelchair Tennis Federation)が昭和63年10月に設立された。日本からは、JWTAが設立当時からの加盟団体となっている。事務局は、前述のパークス氏が会長を務める米国車いすテニス連盟(NFWT: National Federation of Wheelchair Tennis)に置かれた。IWTFが設立されると、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、南アメリカなどへの普及に拍車がかかった。その結果、平成3年には国際テニス連盟(ITF: International Tennis Federation)本部内にIWTF事務局を移し、実質的にITFのバックアップを受けるようになった。これは、アメリカ、オーストラリア、スウェーデン、オランダなどテニスの盛んな国などでは、当時から、ITF傘下の各国テニス団体の中に車いすテニス部門があったことの流れによるものだった。普及と技術力向上
JWTAでは、組織再編後、国内やアジアで精力的に普及活動を始めた。国内への導入後、選手同士の交流も相まって各地へ広がった車いすテニスであったが、地域によっては車いすテニス講習会を開催する必要があった。沖縄、鹿児島、長崎、徳島、福井、石川、茨城、山形、北海道などで初心者向けの講習会を行った結果、平成9年度までに全国への普及を達成した。成人への車いすテニス講習会とは別に、JWTAでは障害児に対してもテニスの紹介に努めている。神奈川、静岡、広島、長野でショートテニスなどを使ってクリニックを行ってきた。障害の重度化、重複化やテニスコートへの交通手段確保など、子供達がテニスを楽しむ条件は必ずしも十分整っていない。子供達自身が主体的にテニスをする環境がないだけに、JWTAなどが援助の手を差しのべなくてはいけないと考えている。
IWTFでは、世界の各地域で普及担当国を定めているが、日本はアジア担当となっている。IWTFと連携したり独自にクリニックを開催した国は、韓国、中国、台湾、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、スリランカ、ロシアなどである。これらの国からは年々、日本で開催される国際大会に出場者が増えてきている。
車いすテニスも、一般テニス同様、競技とレクリエーションのふたつの側面を持っている。今年の長野パラリンピックをきっかけに障害者スポーツの競技性が再認識されたが、車いすテニスプレーヤーも大会目指してトレーニングに励むものも少なくない。JWTAでは、昭和63年より継続してワールドチームカップ(WTC: World Team Cup)に代表チームを派遣してきている。今年から、WTC規程が変更になり、パラリンピック出場権との関連づけが行われるようになったことから、各国ともトップ選手を派遣するようになりますます熾烈な戦いの場となってきている。因みに、来年のWTCはUSTAがホストとなり、ニューヨークのフラッシングメドウで、7月26日から8月1日まで開催される。シドニーパラリンピックの前年でもあり、重要なWTCとなる。
JWTAでは、(財)吉田記念テニス研修センター(TTC)と共催で、平成3年より全日本選抜車いすテニス選手権大会(NEC JWTA マスターズ)を12月に開催している。この大会はシーズン中の国内ランキング上位選手が集うもので、「マスターズへ行こう」を合言葉に選手達にとって格好の目標となっている。TTCではまた、日頃から車いすプレーヤーにも門戸を開放し、レッスンを受けることができる。このように車いすプレーヤーがレッスンを受けることができるテニス施設は年々増加しており、技術力向上の観点で心強い限りである。今後の展望
平成10年1月1日、かつての国際車いすテニス連盟は正式に国際テニス連盟に統合され、国際大会や普及プログラムはITF内の車いすテニス委員会が統括するようになった。その一方で、車いすプレーヤーの主体性、自律性を保つためにかつてのIWTFは、国際車いすテニス協会(IWTA: International Wheelchair Tennis Association)と名称を変え、ITFに対してのアドバイザー的な組織として残った。国内においては、JTA主催のコーチャーズカンファレンス(3月)で車いすテニスプログラムが採用され、また「テニスの日」創設にあたっては、有明テニスの森で車いすテニス交流会が催されるなど、統合的な動きが始まっている。すでに地方レベルでは、車いすテニスが地域テニス団体に統合されたり、一緒になってイベントを開催しているところもあるが、こうした動きが今後ますます広がることが期待されるところである。